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大自然の驚異を目の当たりにした6年前
東日本大震災で最も被害が大きかったのが、私たちが考えもつかなかった津波による街の崩壊でした。
それまでの津波というのは、私が知っている限りでは、せいぜい10cm程度のもので、はっきり言って「現実の津波なんてこんなもん」と思っていたものです。大きな津波というのは、映画などのフィクションの世界での話だと本気で思っていました。
それだけに、6年前にテレビやネットで流れていたあの映像は、驚きのあまりに開いた口が塞がらない、という例えそのままの衝撃だったのを覚えています。
正直言って、今でもあの映像を見ると、背筋が凍る想いがしますね。
おそらく、同じ気持ちの方も少なくないはずでしょう。6年前の3月11日は、本当の津波の恐ろしさを知らない私たちに、大自然の本当の驚異を思い知らされた日でもあります。
地震と津波が残した最も恐ろしい爪痕
車や家をまるでおもちゃのように飲み込み、さらには逃げ遅れてしまった人までもが津波によって、その尊い命を失ってしまいました。
長年に渡って築き上げられてきた美しい町並みは、一瞬のうちに消え去って、跡に残ったのは全てが破壊し尽くされた地獄のような光景であったことは、今でも忘れることができません。
とにかく、大自然の驚異というものを思い知らされた地震と津波だったのですが、事態はそれで収まらなかったのが、東日本大震災の本当の恐ろしさでした。
最も恐ろしい爪痕は、人間自身が作り上げた文明の象徴である《原子力発電所》が壊滅的なダメージを受けたことです。
原子力発電所が受けたダメージは、一つ間違えていれば、この日本列島がピリオドを迎えていたかもしれないほどの、深刻なものだったことが、後に流れた情報によって、私たち国民が知ることとなりました。
本当の恐怖を生んだのは自然ではなく人間
それまでは《夢の次世代エネルギー》とまで言われていた原書力発電。火力発電に比べて遥かにクリーンなエネルギーであり、水力や風力とは比べ物にならない電力を供給できる、まさに人類の英知の結集のようなエネルギーと言われていたほどです。
その人間の英知が、人間自身に牙をむいた原因とはなんだったのか、以下に主なものを挙げてみたいと思います。
①想定を越えた地震に見舞われた
人間というのは、過去の経験やデータから、どれだけの被害が出るのかを予想します。
当然のことながら、福島原発もそれらのデータをベースにして作られているはずなので、想定できる範囲での地震には十分に耐えうる構造で制作されていたでしょう。ですが、結果は想定を超える自然の力によって破壊されてしまいました。
②責任者の責任逃れによる人災であった
原子力発電所の異常に際して、災害対策本部にいた原発総責任者の無知により、対策が後手後手にまわってしまったことが、これだけの被害をもたらした原因だったと言われています。
総責任者の無知というのは決して大げさなことではなく、この責任者、実は文系畑で専門的な知識が欠落していたということです。
民間企業である以上、どういう人を責任者に立てようと、それは組織の自由ですが、最低限、いざというときにはきちんと責任を取る覚悟のある人を責任者とするべきなんです。
これは、完全なる人選ミスによる人災だったと言われても仕方ないでしょう。
③肝心な情報がしっかりと伝わらなかった
地震などの災害時には、政府が中心となって情報を収集して、国民に正しい情報を伝えます。
ですが、東日本大震災のときの情報伝達というのは、何が正しくて何が間違った情報なのか、中心となっている政府でさえも把握できていない状況でした。
こういった事態を引き起こしたのは、福島原発から上がってきた情報を隠していた本社に原因の一端があったと言われています。隠していたというのは語弊があるでしょうが、きちんと総理も控えている災害対策本部に情報を下ろさなかったことは、結果として被害を大きくしてしまったことも事実なんです。
正直、この事実を知ったときは、怒りを覚えた人が大半だったであろうと思います。
今でも残る《被災者いじめ》がある現状
原子力発電所の深刻なダメージによって、放射能汚染から逃れるために、他府県に避難した被災者は多勢います。
住めない以上、他府県に避難するのは当たり前のことなのですが、問題なのは、こういった被災者に対して行い《いじめ》です。これは、どう考えても人とは思えない悪行だと言えます。
私が個人的に思っているのですが、地震・津波、そして原子力発電所による放射能の被害を受けた人に対して、なぜ聞くに耐えないようなことを言えるのでしょうか。
その多くは、小学校や中学校など、子供が発している言葉だそうですが、普通であれば、親が子供に「避難してきた人には優しく接してあげなさい」と言って聞かせるのが当たり前のことなんです。
仮に親にそういうことを教えられなくても、中学生にもなれば善悪の判断はつきます。あまりにも常識がない子供が多いことに、苛立ちと共に悲しさも覚えてしまいます。
さらには、子供だけではなく、教育者である立場の教師でさえも、信じられないことを学生に言っているニュースも流れています。
こういうときだからこそ、古くから言われてきた『困ったときはお互い様』の精神を、私たちは忘れてはいけないのです。
あとがき
今回は、3月11日ということもあって、東日本大震災についてお話しましたが、いかがだったでしょうか。
早いもので、あの大震災から6年が経ってしまいました。しかし、年月は経てど、依然として復興の方は思うように進んでいないのが現状です。
さらに、津波の被害を防ぐために新たに築いている防波堤ですが、これにも問題が生じているようです。行政の説明不足によって、取り残された住民が存在していることがマスコミによって明らかになりました。
つまり、2重に作られている堤防の外側に、数世帯が取り残されているというのです。これが住民側の錯誤なのか、行政側の説明不足なのか、はっきりとは分かっていません。
どちらにしても、二度と人災による被害は避けて頂きたいと、切に願っています。
それでは、今回はこの辺で。